隊長は今から40年前、ボーイスカウトでした。

 初めて小6で行ったキャンプ。新潟県と山形県の県境にある飯豊山という山。キャンプ場ではなく普通の山。班サイトの場所を決められて、まず、鎌で草を刈るところからの設営でした。戸隠に行ったことがないのでわからないですが同じような感じかもしれません。隊長はかなり使えないスカウトでした。たまねぎを剥こうとしていたら、「五十嵐そっちを持ってくれ」といわれて何かを動かすことになり、でもたまねぎを離せなくて、たまねぎを持ったまま持とうとしたらすごく怒られました。夕食の配給がバケツに入った生きているうなぎで、捌くのに四苦八苦したこともあります。シニアー、今のベンチャーですが、が、山の中腹でキャンプをしていて、それを訪問するというプログラムがあって行ったのですが、まず、大きなアーチがあって、テントサイトにもいろんな工作物があって、すごくカッコいいと思いました。中1のとき、第4回日本ジャンボリーで岡山に行ったのですが、すごく暑くて、ネッチを洗って干したら10分で完全に乾いちゃいました。中2で班長になったけど、表彰に縁がない班で、隣の班を見てどうして隣はあんなにいつもサイトが綺麗になっているのだろうと悩んでいました。点検ではいつも怒られていました。40年も前のことなのに、ボーイスカウトをやっていた4年間のことは、次々にいろんなことを、それも鮮明に思い出します。

 今から10年たつと、フクロウ班は25歳、小6も22歳になるわけですが、きっとみんなも大人になってから、ボーイ隊の時のことを思い出すことがあるでしょう。そして、その時きっと、「あの時があったから今の自分があるんだ」と思うんじゃないかと思います。うそが下手な自分、けしてへこたれない自分、みんなおきてに書いてあることですが、「ボーイスカウトでなかったら違う人間になっていたんじゃないか」と思うはずです。

 君たちはボーイスカウトです。ボーイスカウトであることを誇りに、胸を張って、これからを生きていって欲しいと思います。(2006年3月お別れキャンプにて)

五十嵐信哉(現BS隊長)

ボーイスカウト東京文京第5団